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2026/06/19  [PR]
 

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森田童子 『ぼくは16角形』

はじめて聴いたときから、森田童子の歌がずっと好きになれなかった。いや、ちょっとちがう。正確に言えば、彼女の歌を聴いていたら、あまりにもいろいろなことが伝わりすぎてしまって、どうしても好きになれなかった。たぶん彼女のような人間が、ぼくは怖かったんだと思う。特に、この曲のことを知ってからはなおさらだった。はじめて『ぼくは流星になる』を聴いたときもそうだ。震えるように繰り返し何度もリピートしながら、思った。 なぜ彼女はここまで正確に「彼ら」のことを歌えるのだろう?ここで歌われているような、いまはもうどこかへ行ってしまったきりの、触れれば切れてしまいそうなあの、いつかの自分を思い出させる「少年」たち。そんな「彼ら」をイメージしてくれたのは、後にも先にもぼくが知る限り、彼女だけだ。だからこの曲を繰り返し聴くかぎり、どこかでぼくはぼくであろうし続けるだろう。彼女のセンチメントと重ね合わせ、何度もそれを反復するだろう。


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絵本が好きで、よいものを見つけたらちょくちょく買い集めているのだが、「ギギギ」という一冊を描いた玉井司という作家が好きで、それ以外に何か描いていないのかと調べてみたら・・・


まんが日本昔ばなし 『東光山の笑い男』
むしろこの人、こっちの仕事で有名のようだ。『鬼と若者』という作画の仕事も見つけたが、そっちのほうはあまりにも・・・・で、やっぱりアニメにしちゃだめだと思う。
上のはいまだに憶えていたが、ほとんど笑っているだけというのが逆にまったく笑えない不気味さを醸し出していて、しかもみんな顔が真っ白で、子供ながらに怖かったのだが、演出していたのがまさか彼だったなんて・・・ 作画枚数がどうこうという話じゃなく、描きながらちゃんと遊んでいるのがわかる動き。




L.A.F.M.Sの10BOXセット、ずっと前に金のない友人から買い取ってから忙しくて全然聴いてなかったけど、tom recchionのソロが素晴らしくてそればかり聴いている。


lf-cd.jpg












ギラギラしたエフェクトが飛び交うスペーシーなサンプリングミュージックではあるけれど、繋ぎ目なくそれぞれの音が横軸で、どんなジャンルにも聴こえてこないぎりぎりのところで危うく遊んでいる。


chaot.jpg












tom recchionの『chaotica』のこのジャケットは、テープ音楽史を象徴する名品だと思う。
もちろん内容も◎。



L.A.F.M.Sを日本に紹介した方と思われる。この辺りの音楽への愛が情報量と比例して半端ではない。
http://onyak.at.webry.info/200701/article_2.html








l'altraが来日していた。ほんと何でもないバンドのようにも思えるのだが、2002年にでたアルバムはよく聴いた。というか、自分にとってそもそもバンドってそういうものだったりする。



http://www.cinra.net/news/2008/10/27/204604.php



Soft Connection - Laltra
sleepless night - laltra
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NHKのハイビジョン特集は、目を背けたくなるほどに鮮麗されたカメラの超高画質で、極寒のウイグルのマンホールチルドレンの生活や200年続く京懐石の老舗の主人の包丁さばきをこれでもかと記録して放送する。
定期的に過去の番組の再放送もやっていて、観逃したものを観直す機会もままあり、見応えのある作品も多く、現在の国内の放送でその完成度は圧倒的に群を抜いている。仕事の関係上、自分はここ一年以内の放送はおそらくほとんどすべて観ていると思うが、どうやら最近ではオンデマンドにも着手したようで、どうなっていくかはまだわからないが、いまの放送業界は、好きなときに好きな番組を観たいだけ観れるようになってゆくライフスタイルを提案している。
長時間の労働を余儀なくされた限られた時間を生きる現代的な生活者にとって、確かにそれは魅力的にも映るだろう。
もちろんその代償に失われるものがこんなふうに語られることはおそらくないだろうが、例えばぼくの友人が熱っぽく語ったように、深夜、真っ暗な部屋でなんとなしにつけていたTVから予期せず流れてきた『にんげんドキュメント 「ただ一撃に賭ける」』やルイ・マルの『鬼火』を不意打ちのように観たときの、目が釘づけになるような予期せぬ強烈な映像体験はしだいに減ってゆくのではないか。最近になって、うるさく耳にまとわりつく蠅のように嫌というほど飛び交っている「超高画質」や「超高音質」という言葉が招くであろう未来のメディアのイメージに、どうしても不気味さをおぼえてしまうぼくのようにステレオタイプな人間にとって、記憶の鮮明さと画質とにはさしあたって重要な関係性がないようにも思われることもある。
自分で「好きなものだけを選ぶことができる」というのは、ネット時代において特に際立って過剰にゆるされた「自由」であり、その特徴はほとんど潜在的に無意識化して、弊害などはほとんど語られることもない。もちろん時代はそうした流れに従って、ますますスタイルを変化させてゆくだろう。ぼくたちはこれからも、より自分が望んだものだけを選びとってゆくようになるだろう。

こんな話をしたのは、今朝観たハイビジョン特集「北漂一族~北京・さまよえる若者たち~ 
http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2008-12-16&ch =10&eid=13798)が素晴らしかったということをただ書きたかったがためだ。NHKでは現在「新中国人」というテーマで、さまざまな時間/場所を生きのびる中国人の姿を生々しくとらえる特集を組んでおり、この番組はそのひとつの再放送である。ここでは紹介しきれないが、どれも非常に見応えのある力作がそろっているなかで、今回の放送はずばぬけて美しい瞬間を記録していたと思う。エンドクレジットを観て気づいたのは、この作品は中国人のディレクターによって制作されていたということだった。

歌手を目指す恋人に会いにやってきた田舎の若者に、彼女は食事を御馳走し、別れ際に唄を歌って見送ろうとする。もう会えなくなっても哀しまないでね。あなたにはあなたの人生がある。たしかそんな唄だ。若者の青年は返事の代わりに自分も唄を送り、やがてそのメロディーを懐かしむようなふたりのコーラスをバックにひとり若者を乗せた列車は出発する。まるで『長江哀歌』のワンシーンような、あの被写体との間に流れる透明な距離感が、ドキュメントを超えてできすぎたフィクションのようにあまりにも美しく、哀しかった。カメラと登場人物との関係は、見えてくる映像においてはどこまでも近い存在だが、現実において彼らや彼女たちの生活の苦しさを前にしてはなす術もない無力において、どこまでも断絶している。

差別的な意味合いではまったくなく、それは現代を生きる新しい中国人のイメージとして、彼らはそれぞれどこかフィクションとしてその人生を、映画のフィルムに焼きつけられた主役の現実として演じているようにも見えた。

いつしか彼らは人生に、華やかなステージを、豊かな生活を夢みるようになった。しかしそれは、少なくともカメラに映る彼女たちのその姿は、ぼくたちがよく知っているように、彼女たちの生活とはまるで関係のない、どこか別の世界の人々が描いた華やかさや豊かさのイメージだった。その夢を、彼女たちのそのようなひたむきさを、だれかに都合よく造られた偽の豊かさだと嘲笑うことは簡単だ。でも、ほんとうにそうなのだろうか?日本に暮らすわたしたちも、同じような暮らしを夢みていた時代があったのではなかったか?だからこそ、ぼくたちは彼女たちのことばやまなざしにただただ胸打たれるのではないだろうか?そしてこのような胸の苦しさからやりなおすことにこそ、戦争の傷跡に打ちひしがれ、互いに行き詰り絡まり合った日中関係の対話の困難をほぐすきっかけがあるように思う。

(このような答えのでない日中/日韓/日朝の対話のありようを真摯に模索している書き手のひとりに太田昌国がいる。彼の書く態度に自分は大いに影響された。機会あれば読んでみてほしい。)



それと同時に、映像の美しさと同じほどに驚いたのが、中国の戸籍制度の問題である。そしてこれこそが、資本主義化したどの社会構造にも珍しい奇妙な制度であり、実際そのことが、このドキュメントの核にある問題として絶えず横たわっている。中国の戸籍制度については
http//www.d1.dion.ne.jp/~kalinka/china/colum/colum1/koseki2.htmが詳しい。








igor kovalyov  "Hen,His Wife"





露のアニメーション作家igor kovalyovの作品がyoutubeにあってびっくり。以前も探したけどそのときはなかった。youtubeは気がつくと地味に増えている。

はじめて観たとき真っ先に思い出したのは、ポーランド三銃士の作家のひとりであるブルーノ・シュルツの描写する、眼球が飛び出るほど細部にこだわった魔術的な世界とその文体だった。

「・・・その顔の皺の線は、伸び縮みしながら、洗練された悪知恵を漂わせた。うねる線のひとつひとつには皮肉(アイロニー)の色が隠されていた。しかし幾重にも重なった皺の輪が時おり霊感によって引き広げられると、それらはみるみる成長して何か渦巻く巨大な恐ろしげなものに変わり、音のない渦を描きながら冬の夜の深みへ消えていった。」 『マネキン人形論(続)』

なる一文は、まるでこの作品のためにあるような言葉だ。
物語的に似ているのは「アブラ虫」だろうか。


ケンタッキーのチキンのような太りすぎた女主人、虫のように理解できない子供、そして秘密警察の残党のような不気味な黒づくめの男。主人は共産原理主義者だろうか?

すべてがまとまりなくすれちがい、倒錯しているのに、まったく何もかも「日常的」に描かれる。

igorの作品の根底にある不気味な悪寒が、現在のロシアをそのまま象徴しているような寒気だとするとぞっとする。音の使い方も他のアニメに類をみず素晴らしく、つまらない凡百のコラージュを聴くよりよほどよい。彼の毒が気に入ったなら、以下のオフィシャルにある絵画も楽しめるはずだ。


igor kovalyov
http://www.igorkovalyov.com/

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だいぶ前のことになるがatrax morgueが自殺したと知ったとき、まったく悲しくはなかった。
が、stabat morsのときと同様に、可能なかぎり彼の作品をすべて聴こうという気になった。
実際、聴いてみて(当然そんなことには何の意味もなかったが)思ったことがある。

つまりそれは、彼らのようなアーティストの自殺を、他のミュージシャンのそれのように感傷的に受け止めるのはどうかということだった。
そういうやつらは決まってもっと聴きたかっただの次回作に期待していたなどどほざく。数少ないmixiのコミュニティですらほとんどそんな感じだ。
まったく馬鹿げていると思う。そのような聴き方で、一体何がわかるというのだろう。

彼らにとってあのような、そうすること以外にはまるで終わりそうもない死への欲動を繰り返し繰り返しrecし続けているような行為が、それこそ命がけのものであったのだと理解できたなら、あれが彼ら自身によって意識的に反復されたsicknessの臨床記録であり、我々が聴かされているものが末期患者のカルテであったことがわかるはずだ。

覗いてはいけないものを純粋に覗き続けようとしたから死んだ、彼らは、やり続けてはいけないことをやり続けたから死んだ。どこで読んだか忘れたが、日本のディストリビューターがstabat morsから死ぬ直前に奇妙なメールをもらい、そこに書かれていたことをあまりにも了承しかねて返信できずにいたら死んでしまって後悔しているとあった。地下世界の音楽家として十分に尊敬されてはいても、彼らが求めていたものはまるで別の何かだったかもしれず、聴き手はそのすべてに答えることができるわけではない。同じような感情を友人が自殺した際に自分も感じたことがある。友人であってもそうなのだから、いったいこのような事態が考えさせることは何なのだろうとふと思うことがある。

ポリティカルでも、フェティシズムでも、ニヒリズムでもない何か、生と死とに翻弄される人間同士のはざまでしか鳴り響かない音楽とすら呼びがたい何かが、我々の生きるこの現代にはたしかにあるのだという事実に、ただ自分は圧倒される。



suicide1.jpg














atrax morgue
http://digilander.libero.it/atraxmorgue/intro1.html





R-1452787-1220817323.jpeg

   M. plus T.
   http://www.discogs.com/release/1452787


   最後のMBとのコラボ。ジャケットは空っぽの部屋。
彼の部屋だろうか?
ただひたすら美しい。









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